マンションで迎春気分

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マンションの場合、外見上同じ形のサッシ、同じ間取りの部屋が並んでいるため、没個性的です。マンションの共有部分や個々のベランダの使い方にも制約がありますから、どうしても、迎春ムードはそがれてしまいます。

そんな中で、少しでも、迎春ムードを盛り上げることを考えてみましょう。まず、玄関です。近代的な外観ですから、私はお正月用のリースを飾ります。私のリースの土台は、藤蔓ですが、藁をしめ縄状に編んで、丸くして、土台にしてもいいです。それに、ドライフラワーや松ぼっくりなどを自由につけてアレンジします。結納やお祝い袋の水引細工の鶴などを利用すると、華やかになります。

玄関には、28日までには飾りましょう。玄関内の壁には、和凧をアレンジしてみました。玄関の飾り棚には、数年前に金魚を飼っていたときの染付の水盤を花器に見立てて、ちょっとモダンな正月の花を活けてみました。若松と葉ボタンとくると、大菊と小菊各種ということになりますが、今年は少し冒険して、カサブランカを大胆に活けてみました。廊下の壁をくり抜いて作った飾り棚には、毎年、干支の土鈴を並べます。

毎年、1つずつ購入し、後4つで、全部干支が揃います。リビングテーブルの上には、私のうす紫の小紋と淡いピンクの無地の余り布で作ったテーブルライナーを敷き、金や銀色にペイントした松ぼっくりを置きました。ダイニングテーブルには、お嫁入りのとき持ってきた会津塗の重箱と祝い箸がスタンバイしています。今年は、輪島塗のお椀を5客揃えました。テーブルにちょうど良い花器がなかったので、神戸で買ったガラス製のパスタ入れの蓋を取って、さまざまな色の小さな毛糸の玉を入れ、金銀のスプレした柳、胡蝶蘭の造花を指してみました。普段はシンプルなマンション暮らしには満足していますが、クリスマスやお正月などの行事には少し味気ない気がします。

シンプルなマンション暮らしだからこそ、持っているものをアレンジして、季節感を取り入れて、モダンに演出していく楽しみがあります。

Posted on 12月 10th 2012 in 未分類

マンションの屋外部分の大掃除

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 正月前の恒例行事として、大掃除があります。ここでは、分譲マンションの大掃除について考えてみましょう。分譲マンションの場合、専有面積部分のみの大掃除となり、共有部分は管理会社による掃除や管理が行われています。

マンションの大掃除で一番大変なのは、マンションの専有面積の屋外とも言えるベランダ周辺です。マンションの掃除は基本的に水を潤沢に使うことができません。窓や網戸、ベランダの床部分、壁、窓や網戸などが汚れても、なかなか水で洗い流すということができません。ベランダに大量の水を流すと、非常用の梯子の出入り口などから階下に流れ落ちて、下の階にとんでもない迷惑を掛けてしまう危険性があるからです。

もし、水を潤沢に使えることができたとしても、一番ネックになるのが、水栓です。市販のホースがきちんとはまらないのです。唯一、はまるとしたら、洗濯機の水栓部分です。どちらにしても、大量の水はご法度です。そこで、植木鉢などを片づけた上で、丁寧に掃き掃除をし、ゴミやチリをとります。ベランダの汚れは、埃だけでなく、煤煙や雨水やヤニや油煙などの複合したものです。

固まってこびりついている場合は、ブラシでこするより、乾いた状態で、ヘラなどでこそげ落とす下処理が効果的です。それから、少しずつ水をまいて、デッキブラシなどでこすり、少量の水で流します。汚れがひどい時は、少量の洗剤を使うと良いでしょう。

窓同様に壁もウッドデッキやタイルなどの床も室内のフローリングのような拭き掃除をすると、案外簡単で、綺麗になります。網戸は水で濡らした台所用のスポンジで上から軽いタッチでなぞるようにすると、綺麗に汚れが取れます。よじれた汚れをつまんで取って、捨てて、スポンジを綺麗に水で濯ぎ、また、同様にします。室外機も拭き掃除すると、驚くほど綺麗になります。マンションのベランダ掃除のコツは、「効果的な下処理のあとで少量の水で」です。

Posted on 11月 30th 2012 in 未分類

超高層マンションの未来

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先日、80才になる母が平成16年に完成した43階建のタワ―マンションを見上げて、「このマンションを解体する時は、どのようにするのかね。」とつぶやいていました。

テレビで見たダイナマイトによるビル解体になるのか、或いは、少しずつ時間をかけて解体するのか…どちらにしても、人類の未知の世界で、空恐ろしい気がしました。耐用年数満了による解体だけではありません。昨年春の東日本大震災での被害は、戸建て住宅だけでなく、鉄筋コンクリート造りのビルにも甚大な被害をもたらしました。耐用年数に至らなくても、解体しなければならない深刻な被害を受けることもあります。

日本では、近い将来、関東・東海・近畿・四国・九州などを含む広範囲な地域で、大規模な地震が起きる可能性が指摘されています。確かに、阪神大震災以降、耐震基準も見直され続けているとはいえ、あの超高層マンションに実際に被害がないという保証はどこにもありません。

もう一つ、心配なことがあります。この超高層マンションには295戸が分譲されています。今でも、空き室が出ていて、賃貸募集されていますが、持ち主が高齢になって死亡したり、施設や病院に入ったりして、実質多くの部屋が空き部屋になると、規模が大きいだけに大変なことになります。イギリスでは、もうすでに社会問題になっています。

雨後のタケノコのように、マンションが建てられている現在、どんどん大規模化、高層化しています。30年後、40年後、50年後と住民も年齢を重ねていくように、マンションもその年数を重ねていきます。これらのマンションが老朽化するころ、私は生きていないでしょう。超高齢化社会を迎えたこの町がどのような町になっているか…私には想像もできません。昔のように、町が低層化しているかもしれません。それでも、人はここに住んでいることでしょう。

Posted on 10月 25th 2012 in 未分類

マンションの未来

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 税法上、鉄筋コンクリート造りの建物の耐用年数は50年と決められています。30才で、新築分譲マンションを購入した場合、80才で耐用年数は切れてしまいます。こうして考えると、人生の最晩年において、大きな選択を迫られる可能性があります。

しかし、この耐用年数は、あくまでも税法上のもので、実際の管理、修繕によって、大きく変わってきます。少しでも長く快適に暮らし続けるために、日々の管理やさまざまな修繕をしていくわけですが、分譲開始から早い時期に完売するためには、分譲価格や管理費や修繕積立金を考えないといけません。

この管理費や修繕積立金には相場があるようで、高層マンションで住戸数が多い場合でも、低層マンションで住戸数が少ない場合でも、管理費や修繕積立金が大きく変わることはありません。住む立場からの管理業務の検討や細かな修繕計画を立てた上で、余裕をもった管理費や修繕積立金の金額を算定しているわけではなく、分譲する立場からの算定です。考えてみれば、マンションは竣工した時点からゆっくり劣化していき始めます。

それぞれの部屋は専有財産ですが、マンション全体を考えたら、共同財産です。年齢も家族構成も収入も違う人がたまたま同じ建物に住むわけですから、この管理費や修繕積立金についても考え方が異なります。果たして、耐用年数まで、マンションが価値を大きく失わず、機能しているか、不安に思うのは、私だけでしょうか。

耐用年数50年前後というと、1960年代に建てられた物件がそろそろです。日本で最初のマンションと言われる物件が建てられたのではないかと思われるのが、まさにこの1960年代です。マンションの歴史はまだ、耐用年数の50年前後ということになります。つまり、マンションの未来はまだ見えていないということになります。

Posted on 9月 4th 2012 in 未分類

家族の退化と可能性

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 現代の家族は完全に核家族が中心となっています。もっと言えば、

夫婦という最小単位が中心になっていると言っても、過言ではないかもしれません。たとえ、二世帯住宅を建てたとしても、完全に異世代の家族が生活を共にしているのではなく、それぞれの世代が独立して、互いに影響しあう程度の関係性を保っています。そういう家族の形が、住まいにも大きく反映されています。昔の運命共同体としての家族が生活の場面を共有したのとは違い、現代の家族が円満に幸せに暮らすための条件は、生活場面の独立性の確保です。

昭和の高度成長期に育った私達の世代は、「もはや戦後ではない」の言葉通り、自分の部屋を持っていました。そこには、勉強机、ベッド、本棚が完備されていました。その頃から、核家族化が急速に進み、それに比例して、家族の機能の退化が進みました。

 昭和の終わりから平成の初めに育ってきた子ども世代は、核家族どころか、家族を欲しない世代になってきました。これは、家族が機能しがたい世の中になったと言えます。しかし、家族が機能しがたくなっていくにつれ、住まいには、新たな可能性が生まれています。家族ではない地縁による共同体のための住まいです。簡単に言えば、ワンルームマンションであり、高齢者住宅です。

やがて、地縁の共同体が家族の機能を担うようになり、住まいはその共同体が済みやすい環境へと進化していくかもしれません。例えば、老人ホームと保育園と小学校を1つの建物の中に作っていく発想です。その建物を住まいと呼ぶのかどうか、わかりませんが、住まいも又、近い将来、大きくその形態を変えていくことでしょう。人類は、やはり、どんな形でも、1人では生きていけないのです。どんな住まいの形態になっていくか、楽しみです。

Posted on 8月 21st 2012 in 未分類